茶湯徒然帖 / これまでの問い
CHANOYU TSUREDURE

名月は、満月ではない

これまでの問い

今年の中秋の名月は9月25日、満月は27日。2日ずれています。名月と呼びながら、その夜の月は満ちていない。では私たちは、何を見上げているのか。待つ言葉、仏の月、和歌の月、月を待つために建てられた石と床をたどると、心に浮かぶ月の正体が見えてきます。

第1章 名月は、満月ではない

暦を見ていて、妙なことに気づきました。

今年の中秋の名月は、9月25日(金)です。ところが満月の瞬間は、9月27日の午前1時49分。2日、ずれています。

理由そのものは、はっきりしています。

中秋の名月は旧暦8月15日という、暦の上の日付です。旧暦では新月(朔)の瞬間を含む日がその月の一日になりますから、今年は9月11日の12時27分が新月で、その日が旧8月1日。数えて15日目が、9月25日になります。

いっぽう満月は、地球から見て月が太陽と反対の方向に来る天文の瞬間です。日付ではなく、時刻の話です。

ものさしが2つある。だから、ぴたりと重なるほうがめずらしい。名月と満月がずれるのは、毎年のことです。

ただし、2日ずれるのは多くありません。国立天文台によれば、前に2日ずれたのは2017年、次は2043年。今年は、その食い違いがいちばん大きく開く年にあたります。

ここで、動かせないことが1つ残ります。

私たちが「名月」と呼んで見上げるのは、天体としての満月ではありません。暦の上の日付です。

しかも、そう知って困る人はいません。25日の夜に、まだ満ちていない月を拝む。誰も「今夜のは違う」とは言いません。

なぜ、それで構わないのか。

そこを引いていくと、この国で「月」と呼ばれてきたものの形が、少しずつ見えてきます。

第2章 日本語は、待つ言葉ばかり持っている

満月を過ぎると、月の出は毎日およそ50分ずつ遅れていきます。昨日と同じ時刻に外へ出ても、まだ出ていない。

その待ち時間に、名前がついています。

十六夜(いざよい) ためらう(いざよう)ようにして出るから
立待月(十七夜)  立って待つうちに出る
居待月(十八夜)  立っていられず、座って待つ
寝待月(十九夜)  横になって待つ。臥待月とも
更待月(二十夜)  夜が更けてから、ようやく出る

立って、座って、寝て、夜更けまで。待つ姿勢が、そのまま月の名前になっています。

満月の前の夜は待宵まつよい。明け方まで残るものは有明の月。

そして、見えない月にも名前があります。無月むげつ(曇って見えないこと)と雨月うげつ(雨で見えないこと)。どちらも秋の季語です。

「今夜は見えなかった」という事実に、季語が二つ与えられている。見えなかった夜も、月の夜として数えられているということです。

並べてみると、細かいのは満月そのものの呼び名ではありません。満月にも望、名月、明月と言い方はあります。けれども満ちる前と欠けたあとには、夜ごとに別の名前がついている。

待っているあいだのほうが、言葉が細かいのです。

そして、待っていたのは言葉の上だけではありませんでした。

月待ちという行事があります。定まった月齢の夜に人が集まり、飲食をしながら月の出を待つ。十九夜待、二十三夜待、二十六夜待。二十三夜待は16世紀の京の公家の間で行われていた記録があり、江戸後期には各地の村々で、主に女性たちの集まりとして盛んになりました。

その集まりの記念に、石を建てています。月待塔つきまちとうです。「十九夜」「二十三夜」「二十六夜」と、待った夜の番号が刻んであります。

江戸で名高かったのは二十六夜待。月の出がもっとも遅い夜です。正月と7月の二十六夜には、高台に上がって海を望み、徹夜して待ったといいます。

いちばん古い石も残っています。埼玉県富士見市、鶴瀬の権平川のそばから出た嘉吉かきつ元年(1441年)銘の板碑いたび。月待の板碑として日本最古とされ、いまは難波田城なんばたじょう資料館にあります。

難波田城資料館に立つ、嘉吉元年銘の阿弥陀三尊種子板碑。上部に大きな円が彫られ、下に二つの種子が並ぶ
阿弥陀三尊種子しゅじ板碑(富士見市指定有形文化財・難波田城資料館)。
月待の板碑として日本最古とされる。撮影・武井宗道

刻まれているのは、この5文字です。

奉待月供養

「待」という字が入っています。600年近く前のこの村の人が、石に刻んで残したかったのは、月そのものではなく、月を待った、というそのことでした。年号のほかに、藤九郎、九郎五郎といった、この石を建てた人たちの名前も彫ってあります。

もう1つ、見ておいてください。上のほうに、大きな円が彫ってあります。

板碑では、この円を月輪(がちりん)と呼びます。そして円の中に刻むのは、月ではありません。仏です。阿弥陀を表す梵字(キリーク)を月輪の中に置き、その下に観音と勢至の梵字を並べる。これが阿弥陀三尊種子という形です。

つまり、この石にあるのは、待ったという言葉と、待った人の名前と、仏を入れるための円です。

空の月は、どこにも彫られていません。

ちなみに、江戸の月待塔のほうには「十九夜」「二十三夜」「二十六夜」と、待った夜の番号が刻まれます。刻まれるのはいつも、月ではなく、待ったという事実のほうです。

もう1つ、この石が伝えていること。札によれば、名前が並んでいるのは男の信者たちです。江戸の月待ちは主に女性の集まりとして広がりますが、室町のこの石を建てたのは男たちでした。

ちなみに、全国に何基あるのかは分かっていません。悉皆の調査がなく、市町村ごとの調べが積み上がっている段階です(越谷市で13基、といった数え方になります)。

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茶湯徒然帖 ── ひとつの問いを、深く。監修・武井宗道。