← 本棚へもどる目録茶人解剖図鑑
茶人解剖図鑑13一期一会いちごいちえ
一期一会いちごいちえタイプ
この人は、こんな人

井伊直弼いいなおすけ

1815 ── 1860 享年46
終わりに、名前をつけた人

客を見送れば、茶事ちゃじは済む。それまでの茶書ちゃしょは、そこで筆を置いていた。直弼なおすけは、戻ってひとり座る時間まで書いた独座観念どくざかんねんという。

井伊直弼
実に我、
一世一度の会なり。
釜一口の
外は、なし。

彦根ひこね藩主井伊直中いいなおなかの十四男。17で父を失い、そこから32までの15年を、300俵の捨扶持すてぶち部屋住へやずみとして過ごした。屋敷を自ら埋木舎うもれぎのやと名づけている ──「世の中を よそに見つつも 埋もれ木の 埋もれておらむ 心なき身は」。誰も訪ねてこない15年である

その15年で、茶の湯・和歌わかぜん居合いあい・鼓を修めた。茶は石州流せきしゅうりゅう。自ら茶室澍露軒じゅろけんを結び、号を宗観そうかんといった。32で兄の跡つぎとなり、36で藩主、44で大老たいろうそして46で殺される。『茶湯一会集ちゃのゆいちえしゅう』は、その最後の数年に書かれている。

井伊直弼と かんけいのあることば
一期一会いちごいちえ
独座観念どくざかんねん
余情残心よじょうざんしん
茶湯一会集ちゃのゆいちえしゅう
埋木舎うもれぎのや
石州流せきしゅうりゅう
この人の、いちばん強いところ

会の終わりに、名前をつけた。それまでの茶書ちゃしょは、支度と点前てまえと道具のことを書いてきた。客が帰れば会は終わる。直弼なおすけはそこで筆を止めなかった。露地ろじの戸を閉め、席に戻り、の前にひとり座る ── その時間を独座観念どくざかんねんと呼び、一会の極意ごくいと書いた。「此時、寂寞として、打語らふものとては、かま一口の外は、なし」。

しかも、同じ重さを客にも求めている。亭主ていしゅは万事に心を配れ、客も「又逢ひがたき事を弁へ」よ、と書く。もてなされる側を見物人にしていない。一会は、両側で作るものだと言い切った。はじめに一期一会いちごいちえを置き、終わりに独座観念どくざかんねんを置いて、会という時間を、前と後ろの両方へ引き延ばした

この人を あらわすもの
茶湯一会集ちゃのゆいちえしゅう安政あんせいのころに成る

茶事ちゃじの案内状から独座観念どくざかんねんまで、一会をはじめから終わりまで順に書いた。点前てまえの書ではなく、時間の書である。巻頭の一文が一期一会いちごいちえ、巻末が独座観念どくざかんねん

生涯15年ひとりでいた人が、ひとりの時間を書いた
井伊直弼の生涯
茶湯一会集ちゃのゆいちえしゅう』の成立を安政あんせい4年(1857)ごろとする見方が広く、図では大老たいろうの前後に置いた。写本によって年に出入りがあるので、年ではなく位置で示している。埋木舎うもれぎのやの15年と独座観念どくざかんねんは、まっすぐつながっていると読める。
埋木舎うもれぎのやの15年
雪の庭に面した部屋で、書を読む若い直弼。かたわらに鼓と木刀。外の道を、2人が通り過ぎていく世の中を、よそに見つつも。
17で父を失い、300俵の捨扶持すてぶち。茶・和歌・ぜん居合いあい誰も訪ねてこない15年である。
直弼が 書いたもの一会を、はじめから終わりまで

◎=はっきり確かめられる  ○=そう伝わっている

一期一会いちごいちえ

茶湯一会集ちゃのゆいちえしゅう』の巻頭。「今日の会にふたゝびかへらざる事を思へば、実に我一世一度の会なり」。四つの字にして、ここへ据えた。

独座観念どくざかんねん

巻末。客を送り、露地ろじの戸を閉め、の前にひとり座る。会の終わりに置かれる心得。この言葉は、この書より前に見あたらない。

一会の次第

案内状、迎付むかえつけ初炭しょずみ懐石かいせき中立なかだち濃茶こいちゃ後炭ごずみ薄茶うすちゃ、見送り。茶事ちゃじの1日を、順に書き切った

余情残心よじょうざんしん

名残惜しくも、見えがくれになるまで見送るなり」。客の姿が消えるまで戸を閉めるな、と書く。送ったあとに残るもののことである。

客の側の心得

「此会に又逢ひがたき事を弁へ」よ、と客にも求める。もてなされる側にも仕事がある亭主ていしゅの心得だけを書いた書ではない。

閑夜茶話かんやさわ

もう一つの茶書ちゃしょと伝わる。茶事ちゃじの細かいところを説く。井伊家いいけに伝わった茶書ちゃしょは、いま彦根ひこねに残っている。

独座観念どくざかんねん
客を送ったあと、炉の前にひとり戻り、目を閉じて座る直弼実に我、一世一度の会なり。
露地ろじの戸を閉め、席に戻り、炉の前にひとり座る。その時間まで書いた。それまでの茶書ちゃしょは、客を送れば終わっていた。
一会の、はじめと終わり
茶事の流れを1本の線にして、始まりに一期一会、終わりに独座観念を置いた図。宗二の一期に一度の会のやうにが線の左の外に置かれている
宗二そうじの一句と直弼なおすけの四字のあいだは、270年ある。心のほうは、宗二そうじのところで既に書かれていた直弼なおすけが足したのは右の枠 ── 客が帰ったあとである。二つで一組にしたことが、この書のいちばんの働きだと思う。
茶湯一会集ちゃのゆいちえしゅう』より安政あんせいのころ 彦根ひこね井伊家いいけに伝わる

そもそも茶湯ちゃのゆ交会こうかいは、一期一会いちごいちえといひて、たとへば幾度いくたびおな主客しゅかく交会こうかいするとも、今日こんにちかいふたゝびかへらざることおもへば、じつわれ一世一度いっせいちどかいなり。

そもそも茶事ちゃじの交わりは、一期一会いちごいちえという。たとえ何度おなじ亭主ていしゅと客が向き合うとしても、今日の会は二度と返らない。だから、これは私にとって一生に一度の会である

るによりて、主人しゅじんは万事にこころくばり、いささかも麁末そまつなきやう深切しんせつ実意じついつくし、きゃくにも此会このかいまたひがたきことわきまへ、実意じついもっまじるべきなり。

だから亭主ていしゅは隅々まで心を配り、少しも粗末なところがないよう真心を尽くす。客のほうも、この会には二度と逢えないとわきまえて交わりなさい。片方だけの心得ではない

名残なごりしくも、えがくれになるまで見送みおくるなり。

名残惜しく、客の姿が見え隠れになるまで見送る。すぐに戸を閉めてはならない余情残心よじょうざんしんという。

此後こののち茶席ちゃせき立帰たちかえり、炉前ろまえ独座どくざして、今日こんにち一期一会いちごいちえみて、ふたたかえらざること観念かんねんし、あるい独服どくふくをもいたすことこれ一会いちえ極意ごくいならひなり。此時このとき寂寞せきばくとして、打語うちかたらふものとては、かま一口ひとくちほかは、なし。

客を送ったあと茶席ちゃせきに戻り、の前にひとり座る。今日の一会は済んで二度と返らないのだと観念し、自分のために一服することもある。これが一会の極意ごくいである。あたりは静まりかえり、語り合う相手といえば、かまが一つあるきりである

巻頭が一期一会、巻末が独座観念である。会のはじめと終わりに、それぞれ名前が置かれている。あいだに書かれているのは、案内状の出し方から炭のつぎ方まで、ごく具体的な段取りである。二度と返らないと知っているから、支度に時間をかける ── この書は、はじめから終わりまで、その一点でつながっている。

※ 写本により字句に出入りがあります。二つめは読みやすさのため一部を続けて引きました。訳は監修者の読みによります。

なぜ、終わりに名前をつけたのか

客を見送れば、茶事ちゃじは済む。
それまでの茶書ちゃしょは、そこで筆を置いていた。

1

会は、客が帰った時点では終わっていない

茶湯一会集ちゃのゆいちえしゅう』は、送り出したあとに席へ戻るところまで書く。「寂寞として、打語らふものとては、かま一口の外は、なし」。ひとりになってからが、最後の一段である

2

二度と返らないと、はじめに書いてある

巻頭で「今日の会にふたゝびかへらざる事」と言い切った以上、終わりを書かなければ辻褄が合わない。はじめと終わりは、同じ一つのことの両端である。

3

15年、訪ねてくる者がいなかった

17から32まで、埋木舎うもれぎのやにいた。誰も来ない部屋の静けさを、この人はよく知っている。客の帰ったあとの静けさを、空白ではなく中身として書けたのは、そこだと思う。読み

だから、支度に時間をかける

二度とないと知っているから、前の日から露地ろじを掃き、水を打ち、炭を置き直す。その手間のほうが本体で、言葉はあとから付いてきた名前である一期一会いちごいちえは心構えの標語ではなく、支度の理由である。読み

なぜ、この時代に、利休りきゅうの緊張を呼び戻したのか

直弼なおすけのころ、茶の湯は始まって二百数十年たっていた。
型は完成し、稽古の仕組みもできて、遊びのほうへ傾きかけていた

1

道具でも点前てまえでもなく、心の置き場から書き出した

巻頭に据えたのは「二度と返らない」という一行である。段取りは、そのあとに来る茶書ちゃしょの書き出しとして、これは並びが逆である。

2

亭主ていしゅと客の、両方に求めた

亭主ていしゅは実意を尽くし、客も「又逢ひがたき事を弁へ」よ、と書く。もてなされる側にも仕事がある。客を見物人にしていない。

3

石州流せきしゅうりゅうを修めて、そこで止まらなかった

彦根ひこね井伊家いいけ石州流せきしゅうりゅうである。直弼なおすけは型をひととおり身につけたうえで、型の外にある時間のほうを書いた

言葉としては直弼なおすけのもの、心としては利休りきゅう以来のもの

一期に一度、という考え方は山上宗二やまのうえそうじが270年前に書いている。直弼なおすけが新しく思いついたのではない。忘れられかけていたものを、はっきり文章にして戻した。だから四つの字は、この人の名で残っている。読み

残っている話

埋木舎うもれぎのやの15年に、この人が何をしていたか。

屋敷の名を、自分でつけた

「世の中を よそに見つつも 埋もれ木の 埋もれておらむ 心なき身は」。埋もれ木のままでいよう、と詠んだ。北の御屋敷を埋木舎うもれぎのやと呼ぶのは、この歌による。

茶室を、自分で結んだ

澍露軒じゅろけんという。300俵の身で茶の湯に打ちこみ、号を宗観そうかんといった。藩主になる前に、すでに1人前の茶人ちゃじんだった

茶歌ポン、と言われた

茶の湯と和歌わかと鼓(ポン)。部屋住みの道楽と見られていた。世に出る見込みの無い十四男の15年が、のちに1冊になる。

歴史の わかれ道茶の湯は、こう変わった
茶書の中身
点前てまえと道具の伝書でんしょ
一会の時間を、順に書いた
会の終わり
客を送れば、済み
戻ってひとり座るまでが一会
一期一会
「一期に一度の会のやうに」の一句
四つの字になった。茶の外へも出た
客の役
もてなされる側
客にも心得がある。両側で作る
支度
会のための段取り
二度とないから、時間をかける

いま茶席ちゃせき一期一会いちごいちえと言えば、たいていこの1冊から来ている。言葉としてはこの人のもの、心としては利休りきゅう以来のものである。

まわりの 人びと人物相関図
井伊直弼の人物相関図
上の欄に片桐石州かたぎりせきしゅうを置いたが、直接の師ではない。彦根ひこね井伊家いいけ石州流せきしゅうりゅうだった、という意味である。右の欄は仕えた相手ではなく、この人自身の立場を並べた。茶人ちゃじんとしての直弼なおすけを書くこの図鑑では、大老たいろうとしての評は扱わない。『茶湯一会集ちゃのゆいちえしゅう』は、その大老たいろうになる前後に書かれている。
いちばん大きな なぞ一期一会いちごいちえは、誰の言葉か

茶席ちゃせきでいちばんよく使われる四つの字である。利休りきゅうの言葉として紹介されることも多い。だが利休りきゅう自身の書き物に、この四字は無い

いちばん近いのは、弟子の山上宗二やまのうえそうじ天正てんしょう16年(1588)に書いた一句である。「路地ろじへ入るより出づるまで、一期に一度の会のやうに」。心はここにある。四つの字にはなっていない

四字にして書物の巻頭に据えたのは、その270年後、井伊直弼いいなおすけである。

たしかなこと

・『山上宗二記やまのうえそうじき』に「一期に一度の会のやうに」とある

茶湯一会集ちゃのゆいちえしゅう』の巻頭に「是を一期一会いちごいちえといふ」とある

独座観念どくざかんねんという言葉は、この書より前に見あたらない

利休りきゅう自身が一期一会いちごいちえと書いた一次史料いちじしりょうは無い

わからないこと

宗二そうじの一句が、どう伝わって直弼なおすけに届いたのか

・『茶湯一会集ちゃのゆいちえしゅう』が、いつ書き上がったのか

一期一会いちごいちえが茶の外へ広まったのが、いつからか

言葉の出どころを詮索すると、たいてい話が痩せる。ここで大事なのは、誰が言ったかではなく、何を指しているかである。

直弼なおすけが書いたのは、心構えの標語ではない。二度と返らないと知っているから、支度に時間をかけるという、手の話である。前の日から露地ろじを掃き、水を打ち、炭を置き直し、湯の加減を見る。その手間のほうが本体で、言葉はあとから付いてきた名前である

そしてこの人は、終わりのほうにも名前をつけた。独座観念どくざかんねんはじめと終わりが揃って、はじめて一会が閉じる宗二そうじが書いたのは、はじめのほうだけである。

心は宗二そうじが書き、四つの字は直弼なおすけが置いた利休りきゅうは、あとから結びつけられている。
監修者の読み ── 言葉としては直弼のもの、心としては利休以来のもの

直弼なおすけは、茶事ちゃじとは何をする時間なのかを、それまででいちばんはっきり文章にした人である。新しい茶を作った人ではない

この人のころ、茶の湯は始まって二百数十年たっていた。型は完成し、稽古の仕組みもできあがっていた。そのぶん、遊びのほうへ傾きかけていた直弼なおすけはそこへ、利休りきゅうの時代の緊張を呼び戻そうとしたのだと思う。

一期一会いちごいちえが会のはじめに置かれる心得だとすれば、独座観念どくざかんねんはその終わりに置かれる心得である。二つで一組になっている。有名なのは一期一会いちごいちえのほうだが、この人らしいのは独座観念どくざかんねんのほうだと思う。

独座観念どくざかんねんは、もっと静かで、少し寂しい。二度と返らないことを、返らないままに引き受ける。その覚悟に近い。17から32まで、誰も訪ねてこない屋敷にいた人の書いた言葉である。

※ ここは史料から確かめられることではなく、監修者の読みです。

まとめ井伊直弼という人
1

会の終わりに、名前をつけた

客を送り、露地ろじの戸を閉め、の前にひとり座る。独座観念どくざかんねんそれまでの茶書ちゃしょは、客が帰ったところで筆を置いていた

2

一期一会いちごいちえは、支度の理由である

二度と返らないと知っているから、前の日から手をかける。心構えの標語ではない。手間のほうが本体で、言葉はあとから付いてきた名前である。

3

言葉は直弼なおすけ、心は利休りきゅう以来

「一期に一度の会のやうに」と書いたのは山上宗二やまのうえそうじである。270年後、直弼なおすけが四字にして巻頭に据えた。忘れられかけていたものを、文章にして戻した

17から32まで、誰も訪ねてこない屋敷にいた。

その人が、客の帰ったあとの時間に名前をつけた

監修者の読み武井宗道

二度とないと知っているから、支度に時間をかける。

一期一会いちごいちえという言葉は、いまや茶の湯の外でも使われる。直弼なおすけの「今日の会にふたゝびかへらざる事を思へば、実に我一世一度の会なり」から来ている。だがこの四字を心構えの標語として読むと、いちばん大事なところが抜ける

直弼なおすけが書いたのは、手の話である。二度と返らないから、前の日から露地ろじを掃き、水を打ち、炭を置き直し、湯の加減を見る。その手間のほうが本体である。言葉は、あとから付いてきた名前にすぎない。

そして、この人が本当に新しかったのは独座観念どくざかんねんのほうだと思う。客を見送り、戸を閉め、席に戻ってひとり座る。「寂寞として、打語らふものとては、かま一口の外は、なし」。会は、客が帰ってからもう一度ある

一期一会いちごいちえが明るい言葉だとすれば、独座観念どくざかんねんはもっと静かで、少し寂しい。二度と返らないことを、返らないままに引き受ける。17から32までの15年を、誰にも訪ねられずに過ごした人の書いた言葉である。この二つは、二つで一組になっている

新しい茶を作ったのではなく茶事とは何かを、書き切った
一期一会を思いついたのではなく270年前の心に、名をつけた
はじめだけではなく終わりにも、名前を置いた

二度とないと知っているから、支度に時間をかける。それが一期一会いちごいちえである。

※ ここは史料から確かめられることではなく、監修者の読みです。

この図鑑の約束

 はっきり確かめられること

 そう伝わっていること

読み 監修者の解釈。史実とは分けています

この三つを混ぜないように書いています。茶の湯の話には、 あとの時代につくられた物語がたくさん混じっているからです。

監修・武井宗道 はじまりの茶の湯学

NO.12← 千宗旦目録へNO.01千利休 →