益田鈍翁
ますだ どんおう / 集めた人
三井財閥を率いた実業家、益田孝。近代最大の数寄者と称され、大師会を主催して財界人の茶を隆盛させた。古美術を蒐集し、茶道具に新たな価値を与えた。彼の死は、財界人の数寄の時代の終わりを象徴するとされる。[通]
- 生没年
- 嘉永元年(一八四八) ― 昭和十三年(一九三八) 九十一歳
- 本名
- 益田 孝(ますだ たかし)。鈍翁は号
- 出身
- 新潟県 佐渡島。役人だった父の転任で函館、のち江戸へ
- 幕臣時代
- 麻布 善福寺のアメリカ公使館に勤務。初代駐日公使ハリスに接し、生涯の親米家となる。父のフランス出張に同行し、若くして欧州を見る。幕府陸軍では騎兵頭並。馬術に定評
- 実業
- 明治五年 大蔵省造幣権頭(現在の造幣局長にあたる)/明治九年 三井物産の初代社長。二十八歳/同年『中外物価新報』(現『日本経済新聞』)創刊/明治三十四年、三井財閥全体の実権を握る
- 号の由来
- はじめ「観涛」。明治四十年、表千家六代 覚々斎 手捏ねの黒楽茶碗「鈍太郎」を入手し、これにちなんで鈍翁と名乗る
- 邸
- 品川御殿山の碧雲台(一万二千坪)/小田原の掃雲台
- 始めた茶会
- 大師会(明治二十八年〜)/松花堂会(大正九年〜)
- 座右
- 茶是常識(ちゃこれじょうしき)
深く知る ── はじめに
三井物産を興し、三池炭鉱を落札し、三井財閥の指導者になった実業家である。同時に、東京の財界に茶の一大流行を生んだ人でもある。ただし茶の素養は、はじめ皆無だった。茶杓で羊羹を切ろうとして茶匠に咎められた男が、やがて絵巻を断ち切って茶掛にするまでになる。座右の「茶是常識」の常識とは、決まりを守れという意味ではない。それまでの常識を破ることが、この人の茶だった。
……
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つながる項目
出典
桑田忠親『本朝茶人伝』中公文庫