明治、文明開化で衰退した茶の湯を、新興政財界の富豪たちが趣味として復興させた。彼らは流儀や茶禅一味の精神論から自由だったため、東山御物・柳営御物や高麗茶碗を茶の前面に押し出し、茶の湯を美術鑑賞の世界へと広げた。蒐集はやがて私設美術館として公共に遺された。[通]
明治の実業家たちが茶に入ってきたとき、茶の湯は大きく形を変えた。彼らは修行して茶を身につけた人ではない。美術品の蒐集が先にあり、茶は後から来た。その結果、床には茶と何の縁もない天平の仏画やヨーロッパの古地図が掛かるようになる。茶室では収まりきらず、美術館が茶会の輪に組み込まれた。禅から引き剥がされ、美術の側へ寄せられた茶——それが近代数寄者の茶である。
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熊倉功夫『近代数寄者の茶の湯』講談社学術文庫