茶の湯スフィア 索引歴史 / 近代数寄者

近代数寄者

きんだい すきしゃ / 近代

明治、文明開化で衰退した茶の湯を、新興政財界の富豪たちが趣味として復興させた。彼らは流儀や茶禅一味の精神論から自由だったため、東山御物・柳営御物や高麗茶碗を茶の前面に押し出し、茶の湯を美術鑑賞の世界へと広げた。蒐集はやがて私設美術館として公共に遺された。[通]

いつ
明治から昭和初期。とくに第二世代が茶を大きく変えた
誰か
益田鈍翁(三井物産)、馬越恭平、団琢磨、原三渓、松永耳庵ら。政財界の実業家たち
何をしたか
茶と無縁だった美術品を、茶席に持ち込んだ
生んだ形式
大師会(明治二十八年、益田邸が第一回)── 美術品の陳列と大寄せの茶会を組み合わせた
座右
茶是常識(益田鈍翁)── 常識を離れて茶なし
背景
廃仏毀釈で困窮した奈良の大寺院が、仏教美術を大量に手放していた
功績
美術品の海外流出を止めた
批判
「あれは茶番だ」(三井守之助)── 精神性が欠けている、という同時代の声
深く知る ── はじめに

明治の実業家たちが茶に入ってきたとき、茶の湯は大きく形を変えた。彼らは修行して茶を身につけた人ではない。美術品の蒐集が先にあり、茶は後から来た。その結果、床には茶と何の縁もない天平の仏画やヨーロッパの古地図が掛かるようになる。茶室では収まりきらず、美術館が茶会の輪に組み込まれた。禅から引き剥がされ、美術の側へ寄せられた茶——それが近代数寄者の茶である。

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つながる項目
益田鈍翁 根津嘉一郎 松永耳庵 小林逸翁 数寄から家元と大衆へ 原三溪 野村得庵 藤田香雪 畠山即翁 五島慶太 横河民輔 三井高棟
出典

熊倉功夫『近代数寄者の茶の湯』講談社学術文庫

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監修・武井宗道。通説と、史料から確かめられることを分けて記しています。