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茶人解剖図鑑11数寄すき
数寄すきタイプ
この人は、こんな人

山上宗二やまのうえそうじ

1544 ── 1590 享年47
茶の湯を、書いて守った人

茶湯者ちゃのゆしゃは無能なるが一能なり」── 何かに長けてしまえば、そちらへ偏る。誰をも迎えるには、何者でもない平らな状態でいるほかない。

山上宗二
無能なるが
一能なり。
秘伝ひでんにつき、
他見たけん無用。

堺の薩摩屋さつまやという商家の子。若くして千利休せんのりきゅうに入門し、20年あまり筆頭の弟子だった。目は誰よりも利いたが、口が悪かった。権力に阿る茶を見れば、相手が誰であろうと切って捨てた。

秀吉ひでよしの不興を買い、堺を追われる。天正てんしょう16年(1588)の正月、逃亡の最中に高野山こうやさんで1冊の書を書き上げた。『山上宗二記やまのうえそうじき』── 20年ぶんの記憶を、2か月で紙に叩きこんだ。2年後、小田原おだわらで殺される。

山上宗二と かんけいのあることば
山上宗二記やまのうえそうじき
侘び数寄わびすき
目利きめきき
作意さくい
冷え枯れるひえかれる
一期一会いちごいちえ
この人の、いちばん強いところ

持っていない者を、頂点に置いた。「一物いちもつも持たざる者、胸の覚悟一つ、作分さくぶん一つ、手柄てがら一つ、この三ヶ条調うる者、数寄すきと云ふなり」。道具を一つも持たなくても、覚悟と工夫と腕があれば、それが最高の茶人ちゃじんだと書いた。大名たちが名物めいぶつに何千貫を積んでいた時代にである。

そして、その物差しを自分にも当てた。追放され、道具も座敷ざしきも職も失った身で死んでいる。自分が定めた「一物いちもつも持たざる者」そのものの姿である。書いたことと、生きたことが、ずれていない。だから400年読まれている。

この人を あらわすもの
山上宗二記やまのうえそうじき天正てんしょう16年、高野山こうやさんで成る

名物めいぶつ来歴らいれき、茶室の指図さしず点前てまえ口伝くでん茶人ちゃじんの位。奥書おくがきに「秘伝ひでんにつき、他見たけん無用なり」とあり、師・利休りきゅうに進上したと記されている

生涯追われながら書き、詫びずに死んだ
山上宗二の生涯
名物めいぶつ数百点の来歴らいれきも、茶室の寸法も、点前てまえ口伝くでんも、20年ぶんの記憶だけで書かれている。追放の年は資料によって天正てんしょう11年・12年・14年と分かれるので、図では「40歳ごろ」とした。
詫びなかった
権力者の前で、背筋を伸ばして座る宗二思うたことを、申したまで。
小田原おだわら。利休がとりなした。それでも、詫びなかった。思うたことを言うほかに、この人のやり方は無い。
宗二が 書き遺したもの20年の記憶を、2か月で

◎=はっきり確かめられる  ○=そう伝わっている

名物記めいぶつき

茶壺ちゃつぼから茶入ちゃいれ茶碗ちゃわん墨蹟ぼくせきかま花入はないれまで。所在と来歴らいれきに、宗二そうじ自身の評が付いている

茶人ちゃじんの四つの位

大名茶だいみょうちゃの湯/茶の湯者ゆしゃ数寄すき/名人。道具ではなく、人を格で分けた

茶湯者覚悟十体ちゃのゆしゃかくごじったい

茶人ちゃじんの心得十か条。「上をそそうに、下を律儀に」── 外は飾らず、内は妥協しない。

また十体じったい

実際の茶会ちゃかいの十か条。「一期に一度の会のやうに」── 一期一会いちごいちえの元になった一文。

茶室・露地ろじ指図さしず

4畳半よじょうはんから2畳半にじょうはんまで。間取りが図で残っている。茶室の形を知る、いちばん古い手がかり。

正統の系譜

能阿弥のうあみ珠光じゅこう宗珠そうじゅ引拙いんせつ紹鴎じょうおう利休りきゅうこの線だけを名人と認めた

高野山こうやさんで、書く
雪の板の間で筆を走らせる宗二見たままを、書き置く。
天正16年正月から2月。追われた身で、2か月で書き切った。名物めいぶつ記、茶人の四つの位、茶室と露地ろじの指図。
茶人の、四つの位
山上宗二記の茶人四分類の図解。大名茶の湯・茶の湯者・侘び数寄・名人の四つの位と、名人が最後は侘び数寄へ還るという円環を示した図
面白いのは、頂点の名人が終着点ではないことである。「茶湯名人ちゃのゆめいじんに成りての果ては、道具一種さえ楽しむは、数寄すきが専らなり」。極めた果てに、また何も持たない境地へ還る。上へ登る梯子ではなく、輪になっている。
名人の、季節
山上宗二記が名人4人の境地を季節にたとえた図。紹鷗の秋から引拙の晩秋、珠光の厳冬、利休の冬木へと、葉が落ちていく順に並べた図
4人を並べた順序そのものが、宗二そうじの美学の宣言になっている。華やかな秋から冬枯れの木へ。成熟とは、増えることではなく落ちることだと言っている。利休りきゅうの一言が短いのは、短いほど先にいるからである。
山上宗二記やまのうえそうじき』より天正てんしょう16年(1588)正月〜2月 高野山こうやさん

茶湯者ちゃのゆしゃ無能むのうなるが一能いちのうなり。

茶の湯者ゆしゃは、ほかに何もできないことが、かえって唯一の才である。(紹鴎じょうおうが弟子たちに言った言葉として記されている)

一物いちもつたざるものむね覚悟かくごひとつ、作分さくぶんひとつ、手柄てがらひとつ、このさんじょう調ととのうるもの数寄すきふなり。

名物めいぶつを一つも持っていない者でも、胸の覚悟と、独自の工夫と、それを成り立たせる腕。この三つが揃っていれば、数寄すきと呼ぶ。

路地ろじるよりづるまで、一期いちご一度いちどかいのやうに、亭主ていしゅうやまかしこまるべし。

露地ろじに入ってから出るまで、一生に一度の会だと思って、亭主ていしゅを敬い、かしこまりなさい。

ひとたるさくをば、かつてもっすべからず。あたらしくつくるべし。

人のやった趣向を、決して真似てはならない。自分で新しく作りなさい。

秘伝ひでんにつき、他見たけん無用むようなり。

秘伝ひでんであるから、決して他人に見せてはならない。(奥書おくがき

はじめの一句が、この書でいちばん強い。器用であることを才と呼ばず、何もできないことのほうを才と呼んでいる。何の話をしているのかは、次の枠で読む。宗二は師の利休が口ずさんでいたという一首も書き留めている ──「けがさじと思ふ御法のともすれば 世わたる橋となるぞ悲しき」。汚すまいと守ってきた茶の道が、世を渡る手段になってしまうのが悲しい。

※ 自筆本は残っていません。伝わるのは写本で、岩波文庫本・淡交社本などで字句に出入りがあります。訳は監修者の読みによります。

なぜ、無能が才になるのか

ほかに何もできないのが才だ、というのは妙な話である。
不器用の言い訳にも読める。だが同じ書の中に、答えがある。

1

相手を選ばない、と決めていた

亭主振ていしゅぶりの事」に、客を底から敬い、貴人も名人も常の客も分け隔てするな、とある。相手が天下人でも無名でも、同じ場所に立つということである。

2

同じ趣向を、二度使わせない

「人の仕たる作をば、かつて以て似すべからず。我が新しく作るべし」。得意の型を持てば、人はそれを繰り返す。持たせなかった。

3

有能は、偏る

何かに長けてしまえば、そちらへ引かれる。茶席ちゃせきに誰が来るかは選べないのだから、亭主ていしゅのほうが何者でもない、平らな状態でいるほかない。無能とは、欠けていることではなく、偏っていないことである。読み

珠光が物に言ったことを、宗二は人に言っている

珠光じゅこう唐物からもの和物わもののさかいを決めなかった。決めた瞬間、決めたほうに縛られるからである。宗二そうじは同じことを、道具ではなく亭主ていしゅ自身に当てた。四つの位が輪になっているのも、名人という位置に留まらせないためである。読み

なぜ、持たない者を頂点に置いたのか

名物めいぶつを何百点も並べた書の後半で、宗二そうじ
名物めいぶつを持っているだけでは意味が無いと書く。

1

持つことと、分かることは別である

名物めいぶつを持つて候とも、其人ならでは、目利めききもきかず、其甲斐なく候」。蔵に並べても、使えなければ死んでいると言い切っている。

2

目利めききを、選ぶ力に置き換えた

目利めききとは、道具の善悪を見分くるばかりにてはなし」。品・形・比・様子を見て、自分の席に使えるかを見抜く力だと書き直した。真贋しんがんの話ではない。

3

買えないものだけを、物差しにした

覚悟も、工夫も、腕も、金では手に入らない名物めいぶつが金で動く時代に、金で動かないものだけを基準に選んだ。追放されて何も持っていない自分にも、それなら届く。読み

だから、雑器が名物になった

朝鮮の日用の器だった井戸茶碗いどぢゃわんを、宗二そうじは「天下一てんかいち高麗茶碗こうらいぢゃわん」と書いた。しかも「この一種、山上宗二やまのうえそうじ見出し名物めいぶつになり候」── 自分が見つけたと、はっきり書き残している。

残っている話

潔癖で、口が悪くて、そのくせ自分の格は高く見積っていた

当代の茶湯者ちゃのゆしゃ八名に、自分を入れた

利休りきゅう今井宗久いまいそうきゅう津田宗及つだそうぎゅう天下三宗匠てんかさんそうしょうのすぐ後に、堂々と「山上宗二やまのうえそうじ」と書いている。追放された浪人の身でである

師の利休りきゅうにも、批判が向いた

理想が純粋すぎて、権力と折り合いをつける利休りきゅうとも衝突したと伝わる。それでも奥書おくがきでは利休りきゅうを「愚老」と呼び、この書を師に送っている

耳と鼻を削がれて殺された

天正てんしょう18年、小田原おだわら利休りきゅうのとりなしで秀吉ひでよしの前に出たが、詫びなかった。見せしめの刑だったと伝わる利休りきゅう切腹せっぷくは、その1年後である。

歴史の わかれ道茶の湯は、こう変わった
茶人の位
名物めいぶつをいくつ持っているか
何を持つかではなく、どう在るか
道具の価値
唐物からものが上、和物わものは下
名物めいぶつ数寄道具すきどうぐを分けた井戸いど天下一てんかいち
目利き
本物か偽物かを見分ける
使えるかどうかを見抜く。なり・ころ・ようす
教え方
口伝くでん。師から弟子へ、一対一
文字になった。読めば誰にでも届く
歴史
語られていただけ
系譜が書かれた珠光じゅこうが「開山かいさん」になった

この1冊が無ければ、珠光じゅこう紹鴎じょうおうも、名前だけの人になっていた。いま私たちが茶の湯の歴史として知っているものの骨組みは、追われていた1人の男が、高野山こうやさんで2か月のあいだに書いた。

まわりの 人びと人物相関図
山上宗二の人物相関図
弟子の欄が無い宗二そうじに名の知られた弟子はいない。この人が伝えたのは、人にではなく紙にである。枠の中は宗二そうじが名人と認めた5人で、この線の外は名人ではないと書いた。仕えた人の欄の一番上に、自分を殺した人が並んでいる。
いちばん大きな なぞ他見無用たけんむようと書かれた書が、なぜ読めるのか

奥書おくがきにこうある。「秘伝ひでんにつき、他見たけん無用なり」。人に見せるなと書いて、師の利休りきゅうに送った

それが今、岩波文庫にも淡交社にも入っている。誰でも買える。書いた人がいちばん望まなかった形で、この書は残った

そして、もう一つ厄介なことがある。この書は、中立な記録ではない

たしかなこと

天正てんしょう16年正月から2月、高野山こうやさんで書いたと奥書おくがきにある

奥書おくがきに「秘伝ひでんにつき、他見たけん無用なり」とある

利休りきゅうに進上したと奥書おくがきにある

宗二そうじ自筆じひつの本は残っていない。伝わるのは写本しゃほんである

わからないこと

どういう経路で、世に出たのか

・追放が、いつだったのか(資料で天正てんしょう十一・十二・14年と分かれる)

秀吉ひでよしの前で、実際に何を言ったのか

宗二そうじは、能阿弥のうあみから珠光じゅこう引拙いんせつ紹鴎じょうおう利休りきゅうへという1本の線を引き、これだけが正統だと書いた。ほかの茶は亜流だと切った。記録ではなく、宣言である。

珠光じゅこうを「開山かいさん」と最初に書いたのも、この書である。今日われわれが茶の湯の歴史として知っているものの骨組みは、この宣言に沿っている

だからこの図鑑が◎を打つときも、正確には「宗二そうじがそう書いた」という◎である。それでも◎を打てるのは、同時代に、見てきた本人が書いた記録が、ほかにほとんど無いからである。

この図鑑の◎の多くは、この人が書いたから打てる。足場を疑うことも、足場の一部である
監修者の読み ── 権力には敗け、歴史には勝った

宗二そうじ秀吉ひでよしに敗けた。追放され、道具を取り上げられ、最後は見せしめの刑を受けて死んだ。400年前の話である。

だが、いま茶の湯の歴史を語ろうとすれば、誰もこの人の書いたものを迂回できない。珠光じゅこうから利休りきゅうへという線も、数寄すきという言葉も、一期一会いちごいちえの元になった一文も、全部この1冊から出ている。権力には敗けたが、歴史においては勝っている

面白いのは、勝ち方まで本人が書いていることである。当代の茶湯者ちゃのゆしゃ八名を挙げたとき、天下三宗匠てんかさんそうしょうのすぐ後ろに自分の名を置いた。追われている浪人の身でである。負けている最中に、自分を歴史の中に書き入れた

※ ここは史料から確かめられることではなく、監修者の読みです。

まとめ山上宗二という人
1

持たない者を、頂点に置いた

一物いちもつも持たざる者でも、覚悟と作分さくぶん手柄てがらがあれば最高の茶人ちゃじんである、と書いた。金で買えないものだけを、物差しにした

2

「無能なるが一能なり」

有能は偏る。何かに長けてしまえば、そちらへ引かれる。茶席ちゃせきに誰が来るかは選べないのだから、亭主ていしゅ何者でもない、平らな状態でいるほかない。無能とは、欠けていることではない。

3

記録ではなく、宣言だった

正統の線を引き、その外を切った。今日の茶の湯史の骨組みは、この宣言に沿っている。知って読むほうが、ずっと面白い。

この1冊が無ければ、珠光じゅこう紹鴎じょうおうも名前だけの人になっていた。

この図鑑の◎の多くは、この人が書き残したものに寄りかかっている。11人目にして、足場そのものの人である。

監修者の読み武井宗道

権力には敗れ、歴史においては永遠の勝者となった。

茶湯者ちゃのゆしゃは無能なるが一能なり」。この一句を、不器用の言い訳として読んではいけないと思う。有能とは何かに長けているということで、長けていればそちらへ偏る。偏った亭主ていしゅは、偏った客しかもてなせない。茶席ちゃせきに誰が来るかは選べない。だから亭主ていしゅのほうが、何者でもない平らな状態でいるほかない。無能とは、欠けていることではなく、偏っていないことである

宗二そうじ自身が、そのとおりに生きた。世を渡る器用さを持ち合わせず、権力に媚びず、正しいと思ったことを言って、追われ、殺された。だがこの人が高野山こうやさんで書いた2か月が、茶の湯の歴史の背骨になった。もしこの書が無ければ、珠光じゅこうから利休りきゅうへ至るわび茶の系譜も、その精神も、これほど生々しく知ることはできなかった

同時に、正直に言っておきたいことがある。この書は中立な記録ではない。宗二そうじは正統の線を引き、その外を切り捨てた。歴史の書き換えにも似た、壮大な宣言書である。そのことを承知で読むほうが、この書はずっと面白い。

「上をそそうに、下を律儀に」。外は飾らず、内は一切妥協しない。400年前の言葉だが、いま読んでも古びない。この人は、茶の湯を遊びから生き方に引き上げた

不器用だったのではなく偏らないでいた
記録を残したのではなく正統を、宣言した
権力には敗れたが歴史においては、勝っている

「無能なるが一能なり」。何者でもないことが、誰をも迎えられる唯一の構えである

※ ここは史料から確かめられることではなく、監修者の読みです。

この図鑑の約束

 はっきり確かめられること

 そう伝わっていること

読み 監修者の解釈。史実とは分けています

この三つを混ぜないように書いています。茶の湯の話には、 あとの時代につくられた物語がたくさん混じっているからです。

監修・武井宗道 はじまりの茶の湯学

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