茶の湯スフィア 索引人物 / 栄西

栄西

えいさい/ようさい / 伝えた人

備中吉備津宮の神官の子に生まれ、比叡山で天台と密教を学んだ。二度の入宋を経て臨済禅を日本に伝え、宋の茶種と喫茶の法をもたらした。鎌倉幕府の庇護を得て寿福寺を建立。『吾妻鏡』には、建保二年(1214)二日酔いに苦しむ将軍源実朝に、茶一服と『喫茶養生記』を「良薬」として献じた記録が残る。茶を養生の仙薬として説いた、日本の茶の祖。[確]

生没年
永治元年(一一四一) ― 建保三年(一二一五) 七十五歳
読み
「ようさい」。「えいさい」と読まれることが多いが、禅門では明菴栄西(みんなん ようさい)と読む
出自
備中 吉備津宮の一神官の子
葉上(ようじょう)── 後鳥羽天皇より賜る/千光 ── 宋の孝宗より
第一次入宋
仁安三年(一一六八)四月、二十八歳。わずか六か月。天台の新章疏三十余部六十巻を持ち帰る
第二次入宋
文治三年(一一八七)。当初はインド行を志すが西域の道が塞がれ断念。天台山万年寺・天童山で虚庵懐敞に参じ、臨済宗黄竜派の印可を受ける。在宋五年
主著
『興禅護国論』(建久九年)/『喫茶養生記』(承元五年 初治本、建保二年 再治本)/『入唐縁起』(建保三年、最後の著)
建てた寺
聖福寺(博多・建久六年)/寿福寺(鎌倉・正治二年)/建仁寺(京都・建仁二年)
入滅の日
二説ある。『吾妻鏡』は建保三年六月五日 鎌倉、『元亨釈書』は同年七月五日 建仁寺
深く知る ── はじめに

茶の種を宋から持ち帰り、『喫茶養生記』を著した人として知られる。ただしこの書には、禅のことが一字も書かれていない。宋の禅院で茶礼を目の当たりにし、『禅苑清規』を読み込んでいたにもかかわらず、である。臨済禅を日本に伝えようとした人が、なぜ茶については薬の話しかしなかったのか——そこに、叡山という巨大な既成勢力を前にした一人の僧の、周到な計算が見える。

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つながる項目
喫茶養生記 明恵 宇治茶の歴史 抹茶とは 碾茶 佐々木導誉 大富善好 尊行院 足利義教
出典

栄西『喫茶養生記』/「はじまりの茶の湯学」古書vol.1 喫茶養生記講義資料

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監修・武井宗道。通説と、史料から確かめられることを分けて記しています。