宇治茶の歴史
うじちゃ / 室町
明恵の移植伝承に始まり、室町の宇治七茗園、桃山の覆下栽培の確立、江戸の御茶師三仲ヶ間制度と御茶壺道中を経て、宇治は将軍家・朝廷の威信を担う茶の産地となった。利休・織部・遠州ら歴代宗匠と上林家の関係が、茶の湯と宇治茶ブランドの共生を支えた。覆下栽培は碾茶(抹茶の原料)を生んだ。[通]
- 起点
- 栄西(一一四一〜一二一五)が建久二年(一一九一)に宋から帰国し抹茶法を伝え、『喫茶養生記』を著す
- 栂尾
- 栄西から茶の実を贈られた明恵上人が高山寺・深瀬三本木に茶園を拓く。栂尾茶は闘茶の「本茶」となった
- 宇治の発祥
- 建保五年(一二一七)、明恵が宇治五ケ庄で馬の蹄の跡に茶の実を植えよと教えたという伝説【伝承】
- 宇治七名園
- 足利義満が開いたと伝わる。森・祝・宇文字・川下・奥の山・朝日・琵琶
- 覆下栽培
- 戦国〜安土桃山に成立。いつ誰が始めたかを証明する史料はない。中国に覆下はなく、日本独自の発明
- 証拠
- ジョアン・ロドリーゲス『日本教会史』——天正年間(一五七三〜九二)には宇治で覆下が一般化していた
- 江戸
- 徳川家康が宇治の茶師を保護し、御茶壺道中の制度を整備した
深く知る ── はじめに
宇治茶の歴史は、産地の盛衰の話ではない。抹茶そのものの味と色が、この土地で作り替えられた話である。覆下栽培という一つの技術が発明されるまで、抹茶は白く、苦渋かった。緑で旨い抹茶は、桃山になってようやく現れる。しかも宇治は、はじめは「本茶」ですらなかった。
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つながる項目
出典
「はじまりの茶の湯学」宇治抹茶史 講義資料