堺の目利き茶人で、能阿弥流の茶を伝えた。若き日の利休(与四郎、十七歳)はまず道陳に茶を学び、その紹介で武野紹鴎の弟子となった。台子・書院の茶は道陳から、小座敷の茶法は利休が紹鴎のもとで深めたと『南方録』は伝える。松花の壺・虚堂墨蹟など名物を所持。利休の出発点に立つ人物。[通]
利休が誰に茶を学んだのかを問うとき、確かさの上で最初に挙がる名である。堺の目利き茶人で、能阿弥の系統を引く書院・台子の茶を伝えた。今日ひろく信じられている「珠光 ─ 紹鴎 ─ 利休」の三代継承では、道陳の名は出てこないか、出ても紹鴎へ橋渡しをした脇役として扱われる。だが同時代に近い史料に当たると、若い利休が実際に就いたのはこの人であった蓋然性が高い。三代継承という整った物語が、誰を見えなくしてきたかを示す人である。
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桑田忠親『本朝茶人伝』中公文庫(『山上宗二記』『南方録』による)