茶の湯スフィア 索引人物 / 武野紹鴎

武野紹鴎

たけの じょうおう / 開いた人

堺の富裕な武具商に生まれた茶人。三条西実隆に和歌を学び、藤原定家の歌論(稽古と作意・分別)を茶に移した。約六十種の名物を秘蔵する大所持者でありながら、『正直に慎しみ深く、おごらぬさまを侘という』と説き、名物一種を持って侘に徹せよと述べた。唐物と高麗・和物を同じ茶席に取り合わせ、亭主の眼が価値を決めると示した。床に定家の小倉色紙を掛けた最初の茶人。[通/確:会記]

生没年
文亀二年(一五〇二) ― 弘治元年閏十月二十九日(一五五五年十二月十二日) 享年五十四
武野新五郎仲材(なかよ)。童名 松菊丸
出自
若狭武田氏の後裔と伝わる。祖父 仲清は応仁の乱に没し、父 信久が堺へ下って皮革商で財を成した
生地
大和 ── 『武野家系譜』は奈良とし、吉野とも伝わる。堺の生まれではない(一章)
紹鴎 ── 黄山谷の詩句「中に白鴎有り 閑なること我に似たり」に拠る
居士号
一閑 ── 天文十八年(一五四九)、堺 南宗寺の大林宗套より
庵号
大黒庵 ── 京の室町通四条上る。堺ではなく京の町なかの庵である
歌の師
三条西実隆 ── 『実隆公記』に紹鴎の名が見える。同時代史料で裏づく数少ない一点
茶の師
藤田宗理 ──『山上宗二記』に「紹鷗始ノ坊主」/ほかに十四屋宗悟・宗陳
官位
享禄三年(一五三〇)、従五位下 因幡守 ── 朝廷への献金による
所持
名物六十種 ──『山上宗二記』「堺武野紹鷗名人也、名物ノ道具六十種所持ス」
同時代の評
「紹鷗ハ当世ノ堪能、先達中興也」──『山上宗二記』。「中興の祖」の出所はここである
通説への留保
「侘びを深めた人」という像の骨格は『南方録』(元禄三年の偽書)に負っている(三章)
主な門人
辻玄哉・今井宗久(女婿)・津田宗及・三好実休
武野宗瓦
残る一次記録
『実隆公記』『松屋会記』『天王寺屋会記』『今井宗久茶湯日記抜書』
深く知る ── はじめに

大和に生まれ、堺で皮革を商う家に育った。二十代を京で過ごして和歌と連歌に打ち込み、三条西実隆に師事する。三十一歳で剃髪し、以後は堺と京を往き来しながら、名物六十種を蔵する大所持者として茶の湯の中心に立った。歌の理論を茶に持ち込み、道具を組み合わせて一つの場に意味を編む方法をつくった人である。ただし、私たちが習ってきた「珠光と利休のあいだで侘びを深めた人」という像は、その大半が没後百三十年以上を経た茶書によって描かれたものだ。同時代の史料から立ち上がる紹鴎は、それとは少し違う顔をしている。

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つながる項目
茶入 墨蹟・掛物 侘び 見立て 千利休 村田珠光 今井宗久 寂び 細川幽斎 三好宗三 三好実休 辻玄哉
出典

「はじまりの茶の湯学」武野紹鴎論 講義資料

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監修・武井宗道。通説と、史料から確かめられることを分けて記しています。