堺の富裕な武具商に生まれた茶人。三条西実隆に和歌を学び、藤原定家の歌論(稽古と作意・分別)を茶に移した。約六十種の名物を秘蔵する大所持者でありながら、『正直に慎しみ深く、おごらぬさまを侘という』と説き、名物一種を持って侘に徹せよと述べた。唐物と高麗・和物を同じ茶席に取り合わせ、亭主の眼が価値を決めると示した。床に定家の小倉色紙を掛けた最初の茶人。[通/確:会記]
大和に生まれ、堺で皮革を商う家に育った。二十代を京で過ごして和歌と連歌に打ち込み、三条西実隆に師事する。三十一歳で剃髪し、以後は堺と京を往き来しながら、名物六十種を蔵する大所持者として茶の湯の中心に立った。歌の理論を茶に持ち込み、道具を組み合わせて一つの場に意味を編む方法をつくった人である。ただし、私たちが習ってきた「珠光と利休のあいだで侘びを深めた人」という像は、その大半が没後百三十年以上を経た茶書によって描かれたものだ。同時代の史料から立ち上がる紹鴎は、それとは少し違う顔をしている。
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「はじまりの茶の湯学」武野紹鴎論 講義資料