堺の人、屋号を櫛屋という。連歌師でもあり、武野紹鴎の高弟。利休の茶の真の師であったとする説もある。秀吉に仕えて茶湯七人衆に列した。津田宗及の茶湯日記に茶事が頻出し、瓜紅の台子・飯胴の小壺・虚堂の墨蹟などの名物を所持した。[通]
茶の湯の系譜のなかで、最も割を食ってきた人である。武野紹鴎の門の筆頭であり、紹鴎から茶湯の秘事を一人だけ相伝され、それを千利休に伝えた。事実の連なりだけを追えば、紹鴎と利休のあいだに立っているのはこの人にほかならない。ところが「珠光 ─ 紹鴎 ─ 利休」という三代継承の物語が定着すると、あいだに立つ者は不要になる。玄哉の名は茶の湯史の表から消えた。近年、利休の実の師をこの人とする説が有力になっているのは、消されたものを戻す作業である。
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桑田忠親『本朝茶人伝』中公文庫(『津田宗及茶湯日記』による)