茶の湯スフィア 索引人物 / 細川三斎

細川三斎

ほそかわ さんさい / 守った人

利休七哲の一人、細川忠興。利休追放の際、織部とともに淀まで見送った弟子として一次史料に名が残る。利休の茶を厳格に守り伝えたことで知られ、三斎流の祖とされる。武家にして利休の正統を継いだ。[通/確:見送り]

生没年
永禄六年(一五六三) ― 正保二年十二月二日(一六四五) 享年八十三
忠興(ただおき)。三斎は号。細川幽斎(藤孝)の長男
早年の名乗り
長岡与一郎 ── のち越中守
天正五年、十五歳の初陣から元和元年の大坂の役まで、三十九年のあいだに数十度の戦
諸芸
和歌・連歌・連句・狂歌/画(狩野探幽が「遠く及ばない」と言ったと伝わる)/蹴鞠は飛鳥井家の奥義/乱舞/刀剣・甲冑の製作に一派/衣服・器物の故実
千利休。利休七哲の一人
号の由来
北野大茶湯で影向(ようごう)の松の根元に構えた茶屋「松向庵」── のち松向寺殿と称された
歿地
肥後 八代。法号 松向寺三斎宗竜。墓は大徳寺 高桐院
深く知る ── はじめに

利休七哲のなかで、師の茶をそのまま守ろうとした人である。同じ七哲でも古田織部が利休の茶を組み替えていったのに対し、三斎は受け取ったものを崩さなかった。武将としては十五歳の初陣から大坂の役まで三十九年を戦場で過ごし、和歌から蹴鞠、刀剣の製作にまで通じた多芸の人でもある。利休が堺へ流されるとき、秀吉の手前を憚って誰もが身を引くなか、織部とともに淀まで見送った二人のうちの一人。

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つながる項目
千利休 古田織部 茶碗 利休七哲 三斎流 千宗旦
出典

「はじまりの茶の湯学」茶道四祖伝書 講義資料(細川三斎)

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監修・武井宗道。通説と、史料から確かめられることを分けて記しています。