茶の湯スフィア 索引人物 / 足利義政

足利義政

あしかが よしまさ / 制定した人

応仁の乱を招いた将軍でありながら、東山に山荘を営み、唐物の蒐集と座敷飾りの作法を整えた。同朋衆を擁して美の格付けを行わせ、後の茶の湯の美意識の枠組みを準備した。東求堂同仁斎は四畳半書院の原型とされる。豪奢な唐物を集め飾る『足し算』の文化の頂点。[通]

生没年
永享八年(一四三六) ― 延徳二年(一四九〇)
立場
室町幕府 八代将軍
将軍職を退いた年
文明五年(一四七三)、三十八歳。子の義尚に譲る
東山山荘
文明十四年(一四八二)造営開始。現在の慈照寺(銀閣寺)
残した建物
東求堂(国宝)── そのうちの四畳半が同仁斎
支えた集団
同朋衆。とりわけ能阿弥・芸阿弥・相阿弥の「三阿弥」
遺したもの
東山御物と呼ばれる唐物コレクション。のち堺の町衆へ流れる
評価
応仁の乱を招いた将軍という評と、日本人の美意識の源流を作った数寄者という評が、真っ二つに分かれる
深く知る ── はじめに

政治では何も残せなかった将軍である。弟を後継と決めておきながら実子が生まれると翻し、応仁の乱の口火を切った。十一年にわたって都が焼かれるのを、止める術もなく眺めるほかなかった。だがその無力のなかで、武力も身分も通用しない場所——美だけが支配する国を作ろうとした。東山山荘はその実験室であり、四畳半の同仁斎は、身分を脱ぎ捨てるための小部屋だった。のちの珠光や利休が目指した「対等」は、ここに先例がある。

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つながる項目
同朋衆 東山御物 東求堂同仁斎 応仁の乱 古市播磨 十四屋宗悟 辻玄哉 石黒道提
出典

「はじまりの茶の湯学」足利義政と同朋衆 講義資料

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監修・武井宗道。通説と、史料から確かめられることを分けて記しています。