応仁の乱を招いた将軍でありながら、東山に山荘を営み、唐物の蒐集と座敷飾りの作法を整えた。同朋衆を擁して美の格付けを行わせ、後の茶の湯の美意識の枠組みを準備した。東求堂同仁斎は四畳半書院の原型とされる。豪奢な唐物を集め飾る『足し算』の文化の頂点。[通]
政治では何も残せなかった将軍である。弟を後継と決めておきながら実子が生まれると翻し、応仁の乱の口火を切った。十一年にわたって都が焼かれるのを、止める術もなく眺めるほかなかった。だがその無力のなかで、武力も身分も通用しない場所——美だけが支配する国を作ろうとした。東山山荘はその実験室であり、四畳半の同仁斎は、身分を脱ぎ捨てるための小部屋だった。のちの珠光や利休が目指した「対等」は、ここに先例がある。
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「はじまりの茶の湯学」足利義政と同朋衆 講義資料