茶の湯スフィア 索引人物 / 山上宗二

山上宗二

やまのうえ そうじ / 守った人

堺の薩摩屋に生まれ、利休の高弟となった。妥協を許さぬ潔癖さゆえ秀吉の怒りを買い、惨殺されたと伝わる。遺した『山上宗二記』(1588)は、名物の来歴・茶の湯の心得・茶人評を伝える同時代の最重要茶書。利休の茶と名物の根拠を後世へ伝えた。[確:宗二記]

生没年
天文十三年(一五四四) ― 天正十八年四月十一日(一五九〇) 享年四十七
出自
和泉国 堺の商家「薩摩屋」。姓は山上、名は宗二。号は瓢庵
千利休 ── 二十年にわたって仕えた高弟
『山上宗二記』── 天正十四〜十六年(一五八六〜八八)頃に成立
仕えた人
豊臣秀吉の茶頭のひとり。のち勘気を蒙り追放される
流浪
前田利家・小田原の北条氏のもとを頼る
最期
天正十八年、小田原の陣中にて秀吉の勘気に触れ、殺されたと伝わる
史料としての位置
利休在世中に、その弟子が書いた同時代の記録
残した語
「一期に一度の会」── のち井伊直弼の一期一会へ(四章)
深く知る ── はじめに

茶の湯を知ろうとする者が、最初に立ち返るべき書を残した人である。『山上宗二記』は、利休がまだ生きているあいだに、その高弟が書いた。後世の茶書がほとんど伝聞と追憶で成り立っているのに対し、この書だけは同時代の内側から書かれている。名物の来歴、茶会の作法、茶人の心得、そして師の言葉が、飾らずに記されている。その率直さは書いた本人の性質でもあったらしく、宗二は秀吉の前でも思うところを述べて憚らず、二度追放され、三度目に命を落とした。

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つながる項目
千利休 山上宗二 村田珠光 三千家 細川三斎
出典

山上宗二『山上宗二記』/「はじまりの茶の湯学」古書vol.2 山上宗二記資料

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監修・武井宗道。通説と、史料から確かめられることを分けて記しています。