ひとつの問いを、深く。
茶の湯には、まだ誰も決着をつけていない問いがいくつもあります。その一つひとつを、週に一度、腰を据えて追いかけます。
全 5 話
茶碗の箱書きには「茶盌」とあり、本には「茶碗」とある。同じものなのに字が違う。そこから、天目・高麗・楽の三つが「もともと何だったのか」を追いました。用途も、分類も、名前も、こちら側が決めていた ── そして最後には、注文して作らせていた。
人間の形をしていて、人間の寸法をしていないものが、目の前に横たわっている。それなのに奇妙に見えないのはなぜか。ロン・ミュエク展の会場で考えたことから、茶の湯の「見立て」と、一休の骨の話へ。
稽古場にいる人の9割近くが女性です。けれど徳川の世まで、正式な茶会で女性が亭主を務めた記録は1つもありません。明治5年、京都府が家元を「遊芸稼人」に落とした同じ年、同じ府の女学校に茶が入りました。いつ、何が起きたのか。
「茶道」と「茶の湯」。同じものを指す二つの言葉だと思っていました。けれど利休は、そのうちの一方を使っていません。その語が現れたのは利休の死から百年後、しかも四百年前の「さどう」は道ではなく人を指していました。
京都の老舗が抹茶に数量制限をかけた。碾茶の値は前年の1.7倍。産地の地図も書き換わり、世界に出回る抹茶の65%はいま中国産である。緑の波はどこまで来て、引いたあとに何が残るのか。