懐石。腹を満たすためでなく、一碗の濃茶のために身体を調える食。
全 49 項目
懐石の基本構成。飯と汁に、向付・煮物椀・焼物の三菜を添える。本膳料理の過剰な品数を、利休が茶事にふさわしく簡素へと削ぎ落とした形。空腹を満たすためでなく、濃茶を喫する前に体を整えるための、控えめで季節に沿った食。引き算の思想が食にも貫かれる。[通]
球体でひらく ──▸東京・茗荷谷にある和菓子屋。四季を繊細に映した上生菓子で知られ、その仕事は国内外で高く評価されている。茶席の主菓子としても用いられ、現代東京の和菓子を代表する一軒。[通]
球体でひらく ──▸炉開き・口切の茶事に欠かせない菓子。旧暦十月の亥の月・亥の日・亥の刻に新穀の餅を食べ、無病息災・子孫繁栄を願う『玄猪の祝』に由来し、源氏物語にも登場する。亥(猪)は五行で水にあたり火を制すことから、亥の日に炉を開くと火災を免れるとされた。炉開きは茶人の正月。[確]
球体でひらく ──▸江戸中期、元文年間頃に創業したと伝える本郷の和菓子屋。茶人大名の松平不昧に好まれ、夏目漱石の作品にも名がうかがえるという。今も完全予約制で茶席の菓子を手がける、知る人ぞ知る老舗。[通]
球体でひらく ──▸明治四十一年(1908)、北野天満宮そばの花街・上七軒に開いた有職菓子御調進所。先祖は宮中の儀式に菓子や調度を調進した公家に連なると伝える。茶席の菓子や婚礼の有職菓子を手がけ、夏みかんの器に寒天を充たす『夏柑糖』が名高い。北野の地で茶の湯と公家文化を菓子に映す老舗。[通]
球体でひらく ──▸名古屋・上飯田にある茶懐石の店。江戸期の農家を移築した建物に茶室『笑庵』を構え、料理だけでなく茶事や茶の湯の会も催す。手打ちの蕎麦など季節の素材を生かした懐石で知られ、茶の湯のもてなしの心を一汁三菜の膳に映す。[通]
球体でひらく ──▸濃茶の前に出される、水分の多い上生菓子。練り切り・こなし・きんとん・薯蕷饅頭などがあり、季節の意匠を凝らす。写実より抽象を良しとし、客は銘を手がかりに情景を読む。菓子の意匠と銘が、その日の趣向を物語る。茶席の華。[確]
球体でひらく ──▸茶を最もよく味わうための食。腹を満たすためでなく、来るべき一碗の濃茶のために身体を調える——いわば『空腹を完成させる』食。料理は流れに沿って供される——飯・汁に始まり、向付・煮物椀・焼物・強肴と進み、箸洗・八寸を経て、湯桶・香の物で膳を結び、最後に主菓子で甘く締める。誇示でなく純化を、加算でなく引き算を選び切った食。[確/通]
球体でひらく ──▸ もっと詳しく ──▸東京・神楽坂にある懐石の店。神楽坂石かわの系譜に連なり、季節を映した端正な料理で知られる。茶懐石の心を汲んだ現代の日本料理を供する一軒。[通]
球体でひらく ──▸もともと『会席』は、茶の湯の料理——今日いう懐石——を指す語だった。のちに『南方録』が温石に由来する『懐石』の字を当て、これが広まる。その結果、元の『会席』のほうが連歌・俳諧の席の料理から酒宴本位の饗応へと転じ、今日の宴会・コース料理を指すようになった。同じ語が、字の置き換えによって正反対の二つに分かれた。今の会席は酒を楽しむゆえ八寸や肴が早く出て飯と汁が最後、懐石は茶を味わうゆえ飯と汁が最初——飯と汁の位置が逆なのが、その分かれ目。[確]
球体でひらく ──▸東京・神楽坂にある日本料理店で、店主石川秀樹が営む。季節の素材を生かした端正な料理で知られ、ミシュランの三つ星に列なる。茶懐石の流れを汲む現代の日本料理を代表する一軒。[通]
球体でひらく ──▸濃茶の前に主菓子(練切・饅頭など生菓子)、薄茶の前に干菓子を供する。季節の移ろいを意匠と銘に託し、茶席の主題を甘味で告げる。虎屋などの菓子司が和歌に因む風流な銘の菓子を競い、菓子は小さな掛物のように、その日の趣向を一口に結晶させる。[通]
球体でひらく ──▸昭和十年(1935)創業の東京・南青山の和菓子屋。季節を写した繊細な上生菓子で知られ、茶人や数寄者に愛されてきた。注文に応じて茶席の菓子を仕立てる、東京の代表的な菓子店のひとつ。[通]
球体でひらく ──▸茶の湯で和菓子は、銘によって完成する。同じ形・製法の菓子でも、亭主が趣向に合わせて銘をあつらえ、その銘が意味を吹き込む。客は『菓銘は』と問い、答えから季節と趣向を読む。和歌や古典に由来する銘の背後を知ると、数本の線が稲穂に、紅白が梅花に見えてくる。和菓子の本質。[確]
球体でひらく ──▸大正四年(1915)、亀末廣から暖簾分けして室町二条あたりに開いた京都の干菓子の店。創業以来、打物・有平糖など茶席の干菓子だけを手仕事で作り続ける。季節を映した繊細な意匠は『茶撰菓』と呼ばれ、薄茶に添える干菓子の妙を伝える。[通]
球体でひらく ──▸約四百年にわたり、茶会に出す干菓子だけを作り続けてきた京都の老舗。古い記録は火災で失われ創業年は不明だが、三代将軍家光に菓子を献じて『伊織』の名を賜ったと伝える。受注は茶会の予定で埋まり、薄茶に添える季節の干菓子を一手に調える。『お茶が主役』を信条とする京都百味會の加盟店。[通]
球体でひらく ──▸応永二十八年(1421)に始まると伝える京都の老舗で、本願寺が山科にあった頃から御用をつとめてきた。麦粉に砂糖・白味噌を練り、芥子を散らして焼く銘菓『松風』の発祥として名高い。一向一揆の兵糧に由来するとの伝えもある。本願寺と京菓子の縁を伝える京都百味會の加盟店。[通]
球体でひらく ──▸室町後期の文亀三年(1503)に始まると伝える京都の老舗。応仁の乱後、約三百五十年にわたり毎朝、朝廷へ『御朝物』と呼ぶ餅を献じ続けたことで知られる。名物の道喜粽は水仙粽と羊羹粽の二種で、茶席にも用いられる。御所と京菓子の歴史を体現する京都百味會の加盟店。[通]
球体でひらく ──▸昭和の初め、東京・神田に創業した和菓子屋。看板の松葉最中をはじめ、季節を映す上生菓子や干菓子を手仕事で作り、茶人にも親しまれてきた。神田の地に根づいた、東京の代表的な菓子店のひとつ。[通]
球体でひらく ──▸享保元年(1716)、伊勢から京へ招かれた初代笹屋伊兵衛が御所の御用を仰せつかって始めた有職菓子司。御所・神社仏閣・茶道家元の御用を三百年つとめてきた。東寺の僧に乞われて作ったという棒状の『どら焼』を、弘法さんの縁日にちなみ毎月二十日前後だけ売ることで知られる。京都百味會の加盟店。[通]
球体でひらく ──▸昭和五十五年(1980)に京都・左京区で始まった、出張の茶懐石をつとめる料理屋。茶事の席に合わせて懐石を仕立てる仕事で知られる。店名は白居易の詩にちなむといい、茶の湯のもてなしを支える現代の名店のひとつ。[通]
球体でひらく ──▸一汁三菜の基本に加え、亭主が客に強いて勧める一品。煮物や和え物などを大ぶりの鉢で出し、酒を勧めながら主客が打ち解ける。決まりを超えてもてなしたいという心の現れで、形式と人情の間に置かれた一皿。預鉢(あずけばち)とも。[通]
球体でひらく ──▸明治十五年(1882)、京の名店『塩路軒』から初代高家芳次郎が別家して開いた西陣の御菓子司。聚楽第の旧地で京菓子を作り続け、季節を映した上生菓子や干菓子で茶席を支えてきた。和菓子の祖と伝える林浄因の流れを汲むとされる京都百味會の加盟店。[通]
球体でひらく ──▸禅とともに育った淡味の料理。不殺生戒により獣鳥魚と五辛を断つ。道元は『典座教訓』で調理を仏道修行そのものとし、味の基準に三徳六味を説いた。第六の味こそ『淡味』——足すのでなく、素材本来の味を引き出すこと。引き算で本質を顕すこの思想が、懐石の核心を準備した。煮焼蒸揚生の五法、出汁・豆腐・味噌の技術もここで飛躍した。[確]
球体でひらく ──▸神饌を供えた後、その同じものを人が分かち合うこと(直会)。神と一体となった非日常から人の世へ戻る儀でもある。『ともに食べることで結ばれる』というこの原型が、はるか後の茶の湯の一座建立へと地下水脈のように流れ込む。[確/視点]
球体でひらく ──▸神に供える食。日本料理の最も古い層は人の宴ではなく、神への供進にあった。明治以前はむしろ調理を施した熟饌が主流で、食を『料る』ことは最も古く神聖な文脈に置かれていた。伊勢外宮の日別朝夕大御饌祭は、千五百年欠かさず神に食を捧げてきた。[確]
球体でひらく ──▸亀末廣で修業した初代が明治二十六年(1893)に独立して開いた京菓子司。京都の茶道各家元や本山の御用をつとめ、『抹茶を飲むための菓子』を旨として茶席の主菓子・干菓子を手がける。二代目が日本画家池田遥邨と作った包装紙の青は『末富ブルー』と呼ばれる。京都百味會の加盟店。[通]
球体でひらく ──▸昭和十三年(1938)、本家玉壽軒で修業した初代が玉壽軒発祥の地である西陣で暖簾分けして開いた京菓子司。社寺の限定菓子を納めるなど京都に根づき、銘菓『西陣風味』で知られる。当代は裏千家に入門して茶人の目を養い、茶席で映える造形と季節感を菓子に託す。[通]
球体でひらく ──▸平安貴族の饗宴。『類聚雑要抄』によれば、品数は身分で厳格に異なり、尊者に二十八種、主人は最も少ない八種。膳の料理の数が、そのまま座の序列を可視化した。料理はほとんど味が付かず、各自が四種器(塩・酢・酒・醤)で味付けした。味わうより見せるもの、権威を可視化する装置。[確]
球体でひらく ──▸明治三十五年(1902)に京都で創業し、裏千家の圓能斎に学んで茶懐石を究めた料理屋。茶事の席へ出向いて懐石を調える出張の形を確立し、辻嘉一の著述を通じて茶懐石の心得を広く伝えた。茶の湯と料理を結ぶ近代の名店。[通]
球体でひらく ──▸元禄期の大坂の菓子屋『虎屋大和』を源流とし、文久三年(1863)に鶴屋八幡として暖簾を分けた上方の老舗。茶席の生菓子や干菓子を手がけ、大阪を代表する和菓子屋として知られる。上方の茶の湯文化を菓子の面から支えてきた。[通]
球体でひらく ──▸典座は禅寺で食を司る要職。道元は『典座教訓』で、調理そのものを仏道修行と説いた。料理人が持つべきは三心——喜心(作れることを喜ぶ)、老心(親が子を思うような心)、大心(とらわれぬ大らかな心)。味は三徳六味、すなわち軽軟・浄潔・如法作の三徳と、甘・酸・辛・鹹・苦に淡味を加えた六味。第六の淡味こそ、素材の持ち味を損なわぬ引き算の味である。この食の思想が、のちの懐石の核心を準備した。[確:道元]
球体でひらく ──▸室町後期に京都で創業し、後陽成天皇の御代から御所の御用をつとめた和菓子の老舗。明治の東京遷都に従い東京にも本拠を構えた。練羊羹をはじめ茶席の主菓子・干菓子を広く手がけ、宮中と茶の湯の双方に菓子を納めてきた。長い歴史を持つ代表的な和菓子屋。[通]
球体でひらく ──▸日本の料理は、二つの相反する力に引かれながら姿を変えてきた。一つは権威を見せる誇示の力、もう一つは無駄を削ぐ純化の力。平安の大饗料理は品数で身分を可視化し、室町の本膳料理は式正の膳組で格式を究めた。そこへ禅の精進料理が淡味の思想を持ち込み、利休の懐石が一汁三菜へと削ぎ落とす。やがて酒宴向きの会席料理が広がる。誇示が極まれば純化が起こり、また新たな様式が生まれる——その往還が料理史の骨格である。[視点/確:熊倉説]
球体でひらく ──▸懐石の中心となる一品。蓋付の塗椀に、旬の魚介や野菜を仕立てた汁物を盛る。蓋を取った瞬間の香りと湯気、椀の中の景色が、懐石で最も心を尽くす見せ場とされる。亭主の技量と季節感が凝縮する、もてなしの極み。[通]
球体でひらく ──▸濃い味の料理のあと、八寸の前に出される、ごく薄い澄まし汁。少量を一口含み、口中を清めて次の酒肴に備える。箸の先を洗うほどの軽さから箸洗と呼ぶ。懐石の流れに呼吸を与え、味と味の間に静けさを置く、繊細な心配り。[通]
球体でひらく ──▸八寸(約24cm)四方の杉木地の盆に、海の物と山の物を一品ずつ盛る。亭主と客が酒を酌み交わす千鳥の盃の際に出され、主客の心が最も打ち解ける場をなす。山海の対をなす取り合わせに、自然の恵みへの感謝と、もてなしの呼吸が込められる。[通]
球体でひらく ──▸裏千家の初釜に欠かせない菓子。求肥または薄い餅で、白味噌餡と甘く煮た牛蒡を包み、紅色が透ける。平安宮中の『歯固めの儀』の行事食に由来すると言われ、裏千家十一世玄々斎が宮中の菱葩(ひしはなびら)を茶席に取り入れたのが始まりとされる。新春の祝いを象徴する。[確]
球体でひらく ──▸薄茶に添える乾いた菓子。落雁・有平糖・和三盆・煎餅・押し物などを、干菓子器に二種ほど客の数より多めに盛る。州浜や寒氷など半生のものも含む。主菓子の生に対し、軽やかな乾の味わい。薄茶のひとときに彩りを添える。[確]
球体でひらく ──▸京都・南禅寺の門前に、江戸初期の腰掛茶屋として始まったと伝える老舗料亭。茶懐石の流れを汲む料理で知られ、半熟の『瓢亭玉子』や朝がゆが名高い。長い歴史のなかで、茶の湯の懐石を磨いてきた京懐石の代表格。[通]
球体でひらく ──▸庖丁式は、まな板の上の魚や鳥に直接手を触れず、庖丁と真魚箸(まなばし)だけでさばく儀礼。平安の四条中納言・藤原山蔭が光孝天皇の勅により定めたと伝わり、四条流の祖とされる。大饗料理の世界で、調理は『切る技術』から『見せる作法』へと様式化した。室町期に『四条流庖丁書』(1489年奥書)が編まれ、武家社会の式正の膳とともに故実として整えられた。[確:四条流/伝:山蔭起源]
球体でひらく ──▸武家社会が完成させた式正の料理。式三献の酒礼に始まり、本膳・二の膳・三の膳と膳を重ねる。秀吉の御成では三汁二十七菜、酒宴は十三献まで続いたという。膳を並べ尽くすこと自体が財力と威信の表現で、食べきれぬことを前提とした豊穣。誇示の極。懐石はこの過剰への静かな批判として、対極から立ち上がる。[通]
球体でひらく ──▸折敷(膳)の飯と汁の向こうに置かれる一品。旬の魚の刺身や膾(なます)が多く、亭主の季節の見立てが最も表れる。器も含めて一会の趣向の要となり、懐石で最初に客の目を引く。食材・調理・器の取り合わせが、その日の茶事の主題を静かに告げる。[通]
球体でひらく ──▸懐石は、炊きたての飯と味噌仕立ての汁から始まる。飯はあえて炊き上がりの少量を出し、亭主が時を計って炊いたことを示す。盛り方や進め方は流派によって異なる。茶のための食事だから、満腹にさせず、空腹を程よく支えるのが眼目。もてなしの心が、最初の一椀に表れる。[通]
球体でひらく ──▸一汁三菜のうちの主菜にあたり、旬の魚などを焼いて鉢で出す。向付・煮物椀に続く懐石の山場で、季節の素材をその時季らしく調理する。客は焼物までを一通りいただき、亭主の選んだ旬を味わう。質素のなかに季を盛る、懐石の中核。[通]
球体でひらく ──▸懐石の締めに、湯桶(湯を入れた桶)と香の物(漬物)が出される。客は飯椀に湯を移し、香の物を添えて器を清めながらいただく。湯の中身や作法は流派によって異なる。食材を無駄にせぬ心と、器を清めて返す作法が一つになる。始末の美学が結ぶ、懐石の結び。[通]
球体でひらく ──▸寛永十一年(1634)に名古屋で創業し、尾張徳川家の御用をつとめた和菓子の老舗。干菓子『二人静』など、茶席にふさわしい上品な菓子で知られる。尾張の地に育まれた茶の湯文化を菓子の面から担ってきた、中部を代表する名店。[通]
球体でひらく ──▸昭和二十一年(1946)創業の高松の料亭。瀬戸内の海山の幸を生かした料理に、器・軸・花・室礼、そして茶の湯の精神を重ね、もてなしの膳を仕立てる。讃岐の地で茶懐石の心を伝える老舗料亭として親しまれている。[通]
球体でひらく ──▸料理とは本来、調理の技術ではない。『料』ははかる、『理』はことわり。物事の理を見極め、過不足なく按配し、調和をもって統べること——その全体を指す。亭主が客を思い、季節を読み、器を選び、出す時宜をはかる総体が料理である。日本料理は神饌に始まり、誇示と純化の二つの力に引かれながら、懐石へと至る。[視点/通]
球体でひらく ──▸