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茶人解剖図鑑
もくろく

いま、十三人

一人ずつ、確かめられることと伝わっていることと監修者の読みを 分けて書いています。番号は作った順で、時代順ではありません。

13人の茶人の生没年を横に並べた帯 ← 帯は横に送れます →
横に並べると、だれとだれが同じ部屋にいられたかが見える。 珠光が世を去った年に紹鴎が生まれているので、二人は師弟になりようがない。 栄西と珠光のあいだは二百年あいている。茶が来てから茶の湯になるまで、それだけの時間がかかっている。 宗二の帯は、利休切腹の線の一つ手前で切れている。師より一年早い。 宗旦のあと、直弼までが百五十年あいている。茶の湯がいちばん静かに続いていた時期で、この図鑑にはまだ一人もいない。
千利休のキャラクター
NO.01

千利休せんのりきゅう

1522 ── 1591 享年70

価値を、創造した人

そこらの竹にも、焼いたばかりの茶碗にも、価値は認められていなかった。無いところに、価値そのものを生みだした人。

わび

この人をあらわすもの 黒樂茶碗

古田織部のキャラクター
NO.02

古田織部ふるたおりべ

1543ごろ ── 1615 享年73

自由な型を、持っていた人

型をこわした人だと思われている。じつは逆で、型を徹底して守った人。その型が、師と同じことをしない、という型だった。

へうげ

この人をあらわすもの 十文字茶碗

小堀遠州のキャラクター
NO.03

小堀遠州こぼりえんしゅう

1579 ── 1647 享年69

美を、世の中に置いた人

茶室の中だけの話にしなかった。明るくて広い茶をつくり、城と庭を建て、道具の格の決め方まで変えた人。

綺麗さび

この人をあらわすもの 飛鳥川

細川三斎のキャラクター
NO.04

細川三斎ほそかわさんさい

1563 ── 1646 享年83

利休の茶を、今日まで残した人

型を体得した人は、型の中で自由になれる。大切なものを捉え、貫き、時代に合わせつづけた。

体得

この人をあらわすもの 茶杓「けつりそこなひ」

村田珠光のキャラクター
NO.05

村田珠光むらたじゅこう

1423ごろ ── 1502 享年80

矛盾を、楽しんだ人

矛盾は、片付ける問題ではない。それが世界そのものであり、茶の湯そのものである。珠光は、そこを楽しんでみせた。

冷え枯れ

この人をあらわすもの 『心の文』

武野紹鴎のキャラクター
NO.06

武野紹鴎たけのじょうおう

1502 ── 1555 享年54

茶の湯を、日本の文化にした人

抹茶も道具も、唐物ばかりだった。そこへ和歌を入れた。外から来たものを飾る場が、日本の文化になった。

分別

この人をあらわすもの 定家の小倉色紙

織田信長のキャラクター
NO.07

織田信長おだのぶなが

1534 ── 1582 享年49

茶の湯を、最高の誉にした人

茶入ひとつが、領地一国より重くなった。茶会を開けることが、生涯の誇りになった。新しい美ではなく、重さのほうを変えた人である。

名物

この人をあらわすもの 九十九茄子

豊臣秀吉のキャラクター
NO.08

豊臣秀吉とよとみひでよし

1537 ── 1598 享年62

茶の湯を、天下に見せた人

黄金の茶室も、2畳の待庵も、北野の大茶湯も、ぜんぶ見せるための道具である。相手が違うだけだった。

天下一

この人をあらわすもの 黄金の茶室

足利義政のキャラクター
NO.09

足利義政あしかがよしまさ

1436 ── 1490 享年55

飾ることの、文法を作った人

何をどこへ置くかに、決まりを作った。道具に序列と作法が生まれたのは、ここである。

東山

この人をあらわすもの 東求堂同仁斎

栄西のキャラクター
NO.10

栄西えいさい

1141 ── 1215 享年75

末の世を、茶で救おうとした人

茶の湯を伝えたのではない。末法── 世はもう終わりだと誰もが言っていた時代に、生きるほうの薬を差し出した。

養生

この人をあらわすもの 『喫茶養生記』

山上宗二のキャラクター
NO.11

山上宗二やまのうえそうじ

1544 ── 1590 享年47

茶の湯を、書いて守った人

「茶湯者は無能なるが一能なり」── 何かに長けてしまえば、そちらへ偏る。誰をも迎えるには、何者でもない平らな状態でいるほかない。

侘び数寄

この人をあらわすもの 『山上宗二記』

千宗旦のキャラクター
NO.12

千宗旦せんのそうたん

1578 ── 1658 享年81

絶やさないために、分けた人

利休は秀吉ひとりに仕えて死んだ。宗二も織部も、仕えた相手に殺された。宗旦はどこにも仕えず、3人の子を別々の家へ出した。

乞食宗旦

この人をあらわすもの 今日庵

井伊直弼のキャラクター
NO.13

井伊直弼いいなおすけ

1815 ── 1860 享年46

終わりに、名前をつけた人

客を見送れば、茶事は済む。それまでの茶書は、そこで筆を置いていた。直弼は、戻ってひとり座る時間まで書いた。独座観念という。

一期一会

この人をあらわすもの 『茶湯一会集』

栄西が末法の世に茶を差し出し、そのおよそ三百年後に義政と同朋衆が飾ることに決まりを作り、珠光が矛盾を楽しみ、紹鴎が茶の湯を日本のものにした。そこへ信長が来て、茶の湯の重さを決め、秀吉がそれを天下に見せた。

その上で、利休が価値を創り、宗二がそれを書き留め、織部が型を立て、遠州が世の中に置き、三斎が残し、宗旦が、潰れない形にした。それから二百年、直弼が、一会の終わりに名前をつけた。

十三人ならべると、茶の湯が一本の線になる。

後の世が、足したもの

この七人には、本人がやっていないことが名前だけで残っている。 どれも有名な話で、どれも同時代の史料に裏づけが無い。

栄西
宇治茶の起こり
「宇治茶の源は栄西」の一文は、後から付いた跋にある
義政
銀という名
観音殿に銀は貼られていない。名だけが後からついた
珠光
義政に茶を教え、一休から墨蹟を授かったとされる
紹鴎
「見渡せば」の歌と結びつけたのは、後の世の書
信長
制度
御茶湯御政道も名物狩りも、信長の世の史料に無い
秀吉
利休との対立
美意識が合わなかったという筋書き
利休
一期一会という言葉
心を書いたのは宗二。四字を据えたのは二百七十年後の直弼

だからこの図鑑は、確かめられることと伝わっていることと 監修者の読みを、混ぜずに書いています。

この図鑑の約束

 はっきり確かめられること

 そう伝わっていること

読み 監修者の解釈。史実とは分けています

この三つを混ぜないように書いています。茶の湯の話には、 あとの時代につくられた物語がたくさん混じっているからです。

監修・武井宗道 はじまりの茶の湯学

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